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■【緊急アピール】 狭山第四次再審闘争勝利! 事実調べ・鑑定人尋問、再審の実現 全国狭山闘争連絡会議

 二〇二六年、高市右翼反動政権の戦争・改憲と差別の攻撃に対し、全国狭山闘争連絡会議はこれを許さず、次の闘いを決意表明する。第一に、狭山第四次再審闘争において、故・石川一雄さんの追悼と妻・早智子さんを支え、狭山差別裁判糾弾、事実調べ・鑑定人尋問、再審を実現していくことである。第二に、戦争攻撃の中で、差別・排外主義者らの台頭を許さず、反戦反差別の全人民的政治闘争の一翼を牽引すること。第三に、労働運動、市民運動などと共に、広く狭山闘争―部落解放の課題に取り組み、勝利することである。このために、あらためて、昨年三月一一日、悔しさと無念の中で亡くなった石川一雄さんへの部落差別攻撃そのものの確定判決である五一年前の10・31寺尾判決を徹底的に糾弾し、大衆的に粉砕することを決意する。以下に、訴える。

●1 狭山差別裁判と再審法改正

 一、10・31集会で一〇月に開かれた三者協議の結果が報告された。想像していたとおり、検察側が今年度末までに意見書を提出すると述べ、裁判所がそれを認めたと言われている。家令裁判長の下での証人尋問は難しくなった。議員立法による再審法改正が早急に求められる。

●2「確定判決」となった寺尾判決とは

 狭山差別裁判の確定判決となったのは一九七四年の10・31寺尾判決である。今から五〇年以上も前の判決であるが、狭山差別裁判糾弾闘争が今日まで続いているのはこの判決が日帝国家権力の末端である裁判所が階級支配の危機を乗り切る為に下した部落差別攻撃であるという理由による。

一九六四年九月に控訴審裁判が始まり、石川さんは「俺はよしえさんを殺していない」と主張した。その後部落解放同盟も支援に乗り出し、我々も七一年から狭山差別裁判糾弾闘争に取り組んだ。裁判官が何人も替わり、一九七二年一一月に寺尾正二が裁判長になった。寺尾はそれまで日韓条約反対闘争や羽田闘争などで被告に有利な判決を下すなど「真面(まとも)」な裁判官と見られていたが、狭山に関しては全く権力の走狗となった。

 寺尾の下では一年間裁判は開かれず、七三年一一月に第六九回の公判が開かれ七四回公判まで更新手続きだけを行い、弁護側の証拠物の取り調べ請求を全て却下し、唯一被告人質問だけを認めた。七四年五月石川さんの被告人質問が行われ、弁護団は石川さんが受けた部落差別のため一審判決まで殺人の自白を維持したことなどを立証するための学者などの証人尋問を請求したが、寺尾は「裁判官は部落差別に関する書物を一〇数冊読んでおり、証人尋問は不要」と全て却下した。

 最終弁論が終了する七四年九月二六日には、日比谷公園に一一万人の部落解放同盟員や労働者・市民・学生が結集し、無罪判決を求めて大集会を開催した。ところが一カ月後の10・31にあのペテン的な寺尾判決を下した。判決文は全部で一四〇ページ、一三万二六〇〇字に及ぶ。もしアナウンサーがこれを朗読したら、八時間もかかるという代物である。これをたった一カ月で作成することは不可能である。

 寺尾はこの裁判を担当した七二年末から一年間公判を開かず、石川さんを有罪とするための理屈を考え抜いてきたことがわかる。判決文の大半は七四年までには完成していたと考えられる。部落差別に関する本を一〇数冊読んでいるなどと述べたが、判決文には「部落差別」やそれに類する文言は一字もない。判決を聞いた山上弁護士が「これはペテンだ!」と叫び、石川一雄さんには寺尾が「減刑したから一五年で出られるよ」と声をかけたが、「そんなことは聞きたくない!」と石川さんは拒絶した。

●3 寺尾判決の差別性

 寺尾は判決文に石川さんの生育状況・動機を書く。「被告人は小学校五年を終了しただけで、小作農の家から始まり、年少から社会の荒波に揉まれて成人したため、読み書きは満足にできなかったが、人並みの世間知を備え、強靱な性格の持ち主だったとうかがえる。犯罪の重大さから死刑になる可能性を十分意識し、死刑を免れたい、罪を軽くしたいと考えていた」「死刑を免れるため嘘をつくのが人間の本性」と一貫して石川さんを「ウソつき」と決めつけ、つじつまが合わないことはすべて石川さんがウソをついているからだとした。更に取り調べにあたった警官はウソをつかないと何の根拠もなく主張する。

 ところが、石川さんのウソでは説明できない指紋について寺尾は「犯人と犯行とを結びつける最も有力な証拠の第一は、何といっても指紋である」と正論を述べ、「捜査官は、脅迫状、封筒、身分証明書、万年筆、腕時計、教科書、自転車等について調べたが指紋は出なかった」と認めた。ところが「指紋は常に検出が可能であるとはいえないから、指紋が検出されないからといって被告人は犯人でないと一概にはいえないのである」と苦し紛れの自己矛盾したウソを言う。まさに寺尾こそペテン師であり大ウソつきだ。「指紋が検出されないから被告人は犯人ではない」のだ。

石川さんは一審の死刑判決を恐れなかった。「死刑を免れたい」「罪を軽くしたい」などという下心も持ち合わせてはいなかった。それは彼が死刑判決でも一〇年で出られると信じていたからだ。裁判についての無知で、「よしえさん殺しを自白すれば一〇年で出してやる」という長谷部警視との約束を信じ切っていたからだ。これが部落差別の結果であり、二審で石川さんと弁護団がこの事件の核心として立証してきたことである。

 寺尾は石川さんの「死刑への恐怖による嘘」を再審での否認の動機としてでっち上げ、部落差別に踏み込むことを拒否したのである。部落差別に関する書物を一〇冊以上読んだなどとだましたことは、「ペテン」であり、まさに部落差別そのものだ。部落差別を維持することが国家の階級支配の危機を乗り切るため自分に課せられた任務と捉え、それを貫いた寺尾の本性である。

 判決文の中にも寺尾の部落差別は現れている。内田幸吉の「証言」では、石川さんが中田栄作方を「五月一日にたずねた」ことを、事件後、ただちに警察にとどけでなかった理由を、「(部落民が)襲ってくるのではないかと恐くていえなかった」と述べた。寺尾判決は、その「心情も理解できないことでもない」と、部落差別にお墨付きをあたえている。

●4 再審法改正と両輪で闘う

「疑わしいときは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則は再審にも適用されるという一九七五年の白鳥決定を受けて、一九八〇年代は一審で死刑判決が確定した四名の元被告たちが再審無罪を勝ち取った。一九八三年免田事件。一九八四年三月に財田川事件。一九八四年七月に松山事件。一九八九年に島田事件で再審無罪を勝ち取った。ところが、検察はこの流れに対して「証拠開示をしすぎた」と総括し、九〇年代は再審の冬の時代と呼ばれることとなった。

 二一世紀に入り、裁判官の訴訟指揮による証拠開示によって再審開始、再審無罪に至る事件が増加した。袴田事件や福井事件の再審勝利を受けて、再審法改正の機運は盛り上がってきた。そのポイントは①再審請求審における検察官の保管する全証拠の開示②再審開始決定に対する検察官の不服申立ての禁止の二点だ。二〇二四年再審議連が発足し、国会議員の過半数を超すメンバーが加入している。そして二〇二五年の通常国会での再審法改正がめざされた。

 ところが、この流れに危機感を抱いた日帝国家権力は、二〇二四年検察庁、法務省が「法制審議会」で再審法改正を検討すると主張し、審議会を開いた。通常国会での再審法改正を止めるため自民・公明・維新に圧力をかけ、法案提出の紹介議員から抜けさせたのである。その結果通常国会での法案成立は継続審議となった。

 再審法改正を求める意見書採択自治体は、二〇二五年一〇月一五日現在八〇〇を越えた。これは全国の自治体の45%に当たりこの中には二六の道府県議会も含まれる。通常国会閉会後も新たに八〇近い自治体が意見書を採択している。またメディアも朝日、東京、産経の各紙が一面トップで再審法改正の記事を書いた。他の地方紙も特集を組み臨時国会での法案提出を後押ししている。

 一九九七年の第一次再審請求から四九年となる。二〇〇六年の第三次再審請求から一九年間、裁判官だけで一〇名が「定年退官」を理由に次々と交代したが、石川一雄さんの死去を以て終了した。そして現在第四次再審請求中だ。寺尾判決から五一年が経過した。そして昨年一〇月の三者協議で、今年三月までに退官する家令裁判長はついに証拠開示の決定を下さず、検察の今年度末(今年三月)までに意見書を提出するという主張を認めた。

 これ以上東京高裁による証拠調べをせず、ただ裁判を引き延ばすだけの訴訟指揮を許すことは出来ない。事実調べさえすれば直ちに石川一雄さんの無罪は確定する。ところが裁判官は寺尾が下した部落差別に貫かれた判決を一ミリたりとも動かさず、定年退官で逃げ回ることを自分の使命としているとしか言いようがない。

 狭山差別裁判に示された日帝国家権力の部落差別を覆すためには、あと一押しである。石川早智子さんを支えて、新一〇〇万人署名を達成することと同時に、地方議会からの請願や再審議連を励まし、なんとしても国会での再審法改正を勝ちとる事を両輪の闘いとして取り組むことが我々に問われている。


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