被爆二世解放委員会
2026年1月22日、最高裁第一小法廷は、被爆二世集団訴訟(広島)に対し、「上告を棄却する」「上告審として受理しない」という不当極まりない決定を示した。昨年の同日、被爆二世集団訴訟(長崎)に対しても最高裁第二小法廷が同様の決定をした。最高裁の決定に我々は満腔の怒りを持って抗議する。
全国被爆二世団体連絡協議会は長年にわたり被爆二世への援護を求めてきた。37万筆を超える署名を集め厚生労働省に提出もした。しかし、厚生労働省は年一回の簡単な健康診断をおこなうのみで何の施策もこうじなかった。そのため被爆二世達は司法に訴えることになった。2017年2月に広島地裁と長崎地裁に本訴訟を提起して以降、被爆二世が自身の健康被害や兄弟姉妹のこと、産まれてこれなかった兄弟姉妹のこと、被爆二世の友人のこと、子ども(三世)のことなどを法廷で赤裸々に語った。また原爆放射線による健康被害の遺伝的影響について科学的根拠を示したり、国が責任を持たないため自治体によって健康診断のあり方さえ違うことなどを真摯に訴えてきた。しかし、どの裁判所も被爆二世の声に耳を傾けることはなかった。
1945年8月6日、9日、米軍は軍事施設ではない街中を目標に原爆を投下した。学校や病院、教会、銀行などが破壊され、老若男女が殺された。生き残った被爆者は原爆による火傷と放射線障害に苦しんでいた。しかし、日本政府は被爆者を放置し続けたため、被爆者達は援護無き差別の状況が続いた。
1955年、被爆者達が立ち上がり東京地裁に提訴した(いわゆる「原爆裁判(下田裁判)」)。東京地裁判決では損害賠償請求は認めなかったものの原爆投下を、軍事目標以外を攻撃してはならない、不必要な苦痛を与えてはならないという国際法の原則に反すると認めた。
国は被爆者の最初の提訴後、1957年にようやく「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」をつくった。その後、1968年には「原子爆弾被爆者に対する特別措置法」が制定され、これらの法律は、1994年に「原子爆弾被爆者の援護に関する法律」(被爆者援護法)となる。被爆者援護法は被爆者にとって完璧ではない。そのため、今も裁判が続いている。2015年よりはじまった「『黒い雨』訴訟」では広島地裁、広島高裁とも、原告全員を「被爆者」と認める全面勝訴が下された。その結果、被ばくの疑いがある被爆者への救済の道が開かれた。しかし、未だ長崎の「被爆体験者」は被爆者と認められず、被爆者援護法のらち外であり、裁判が続いている。
高市政権は非核三原則を見なおそうとしており、政府高官から「日本も核を保有すべき」との声も上がっている。世界の核弾頭の約90%を所有するアメリカとロシアの間で核軍拡競争を抑制する核軍縮条約「新戦略兵器削減条約」(新START)が2026年2月5日、期限切れとなり失効した。
米軍による原爆投下から80年が経ち、多くの被爆者が鬼籍に入った。被爆者がいなくなるのを待ち望むかのように日本の核武装が迫ってくる。
こうした状況に我々は屈服するのか。現実として受け入れるのか。
否!
我々は世界の被爆者、被爆二世達と手を繋ぎ、核兵器の恐ろしさを伝えていく。
原爆による遺伝的影響は「不必要な苦痛」の最たるものだ。被爆二世への援護を求めることは、三度核兵器を使わせない歯止めにもなる。
我々は被爆二世の現実を世界に訴えるとともに、被爆二世へ援護を求める運動を支持し、核兵器廃絶のために断固闘う。
2026年2月20日

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